普通のOLから上海の心材会社への転進

アジアで働くことは、一歩踏み出せば、道が開けてしまう場合があります。
今回は、普通のOLさんが、中国人男性と知り合ったことがきっかけで、
上海で働くことになったのです。
そんなメールが届きました。

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日本では短大を卒業した後、ごく普通のOLだった。

クレジットカード会社の営業を3年ほど勤めた後は、ネット販売会社の電話対応の仕事に転職。主にクレームや返品交換の電話対応の仕事だった。
この仕事に不満があつたわけではなかったが、それも2年目を過ぎたころ、2009年上海に語学留学することを決意した。

突然、思い立ったように上海に飛びたした理由は、2005年韓国を訪れた時に出会った中国人の彼との結婚話が進んでいて、それに向けての第一歩を踏み出すためであった。
彼は年下、当時韓国の大学で学生をしていて、今後彼が学校を卒業すれば、これからどこへ住むのだろうかと考えるようになったからだ。
候補は、韓国か中国。雇用状況や経済発展の速い中国の方が、彼にとって仕事が見つかりやすいと考えたことが決め手となった。

2009年9月、ついに一人で上海にある同済大学の語学留学をスタートさせた。
最大の目的は、4ヶ月間、ゼロから中国語を勉強しつつ、将来はここに住んでもいいのかどうかを見極めること。日本に比べるとストレスなく暮らせることが印象的で、留学期間の4ヶ月も経ち、予定通り、いったん日本に戻ることにした。

だが、上海の活気と経済発展の速さに感化され、日本に帰るのをとどまり上海でそのまま仕事探しするのも悪くないかも、と思うようになる。
また実際問題として、当時の上海は万博前ということもあり、外国人が上海で仕事をするビザ発給規制も急に厳しくなっていた。いずれ上海に住み、仕事するなら今ビザをとっておかないと今後取れなくなるかもしれないという想いが強くなり、急遽、日本に帰国を取りやめ、仕事探しをすることに。

仕事はあっという間に決まる。
人材派遣会社に登録に行き、その時面談してくれた担当者に気に入られ、「うちで働いてみないか」とその場で誘われ、断る理由も見当たらず、そのまま合意して採用が決定。そのスピード感は上海ならではかも。。

今の仕事は、主に上海にいる日本人(就業希望者)向けに、面接やビザの取り方についての説明、就業のフォローを行っている。また、企業側のヒアリングや契約内容の説明、入社後のフォローなどの雇用側と被雇用者側の調整が主な仕事である。この会社で現地採用の日本人は私一人だけ。

勤務時間は、9:00~18:00で土日は休日。ほぼ、定時に終わることが多く、残業はめったにない。給与は日本時の半分ぐらいだが、物価が安いこともあり、生活はそんなに変わらない。家賃手当てのほか、保険もあり、ボーナスも年一回出る。

今後の見通しとしては、去年10月に結婚したので、できることなら上海で専業主婦になりたい。でも現実は厳しい。これからどういう家庭を築けるかが今は大事。中日家庭で、子供4人ぐらい育てられる基盤がもてるようになりたい。


konomatsukonomatsu  at 23:33  | コメント(0)  | トラックバック(0) |  この記事をクリップ! 人材会社 | 中国 

香港、そして上海の幼稚園で子どものために働く

現在、上海の幼稚園で働く女性からメールをいただきました。
子どもたちの未来に頑張っていることが伝わってきます。
上海では、何もビジネスだけの渡航ではないのだなー、と思いますね。
以下、転載します。

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大学を卒業し、幼稚園教諭として働く。

3年ぐらい経った頃、たまたま見つけた青年海外協力隊に応募してみることにした。
海外留学したい気持ちはずっとあったが親は留学に反対で、両親との関係がずっと上手くいってなかったこと、ずっと親と一緒に暮らしていて、離れるきっかけがほしかった。

とはいえ、海外旅行は好きでよく旅行に行っていたが、ただ旅行するだけでなく住んでみたい!と思い続けていたのが、協力隊応募の大きなきっかけだった。
でも結果は、不合格。そんな簡単には受からない。
その当時、幼児教育枠は1名のみで、倍率はかなり高い、しかし合格するまで受け続けることを決意する。年2回の試験で5度目の受験でようやくパスし、念願の海外にでるチャンスを得ることが出来た。

派遣先は中米ホンジュラスに決まった。
派遣中は、毎日ハッピーな日々だった。みんな明日のことなんか考えてない、今この時を楽しく過ごすことを大切にしている世界。文明が発展しているから幸せとは限らない、ということ。
そして発展途上国の人々の方が、心が温かく人間らしい、ということが自分の生き方と通じるところがあり、振り返ってみてもこの時の経験が一番かけがえのないものになっていて、途上国の子どもを救うことが自分の目標となった。

2年間の派遣期間を終え、日本に帰国後は、しばらく南米旅行に出かけ、ぶらぶらしながら過ごしていた。
その後、JICAの紹介で、香港で幼稚園教諭の仕事があることを知り、採用が決まる。
香港では、日系やインターナショナル幼稚園の教諭を計10年勤め、グリーンカードを取得。
しかし、勤め先の幼稚園が閉園することが決まり、就職先を自力で探すことになる。
香港に居ながらネットで求人を探し、米国・英国・タイ・ベトナム・上海などの求人に履歴書を送って、一番早く返事が来た上海に採用が決定する。

今の仕事内容は、運営・保護者対応・保育内容などが主な仕事である。
勤務時間は、8:30~17:30。残業はほぼ毎日あり、19時まで居る時もある。
日本の幼稚園と比べて仕事内容はあまり変わらないが、上海の方が忙しい。
給与は、日本よりよくないが、生活費はそんなにかからないのでお金は貯まる。
家賃や保険の他に年2回の航空券代もでる。

今の勤務先は、6年目。仕事も慣れ、幼稚園で新しいことにこれからもチャレンジしてみたいと思っている。

最終的な目標は、途上国の子どもを救うこと。

途上国に行って、現地の子ども教育に携わっていきたい。途上国のお母さんや子どもたちに幼児教育の大切さを教えていきたい。



konomatsukonomatsu  at 11:18  | コメント(0)  | トラックバック(0) |  この記事をクリップ! 中国 | 現地採用 

ネパールで漫画家デビューした!

ネパール在住の男性からメールをいただきました。
現地でネパール人の方と結婚され、滞在が6年になります。
その方、現地では連載を持つ漫画家なのです。
日本にいたときは、まったく、そんな気がなかったようですが…。
人生、何が起きるかわかりませんね。

以下、文面を転載。

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何か自分にできることはないだろうか?
そう考え移り住んだのがネパールでした。

ネパールはインドの上部に位置する国です。
国土は日本の北海道と四国、そして九州を合わせたくらいの小さなものです。
目立たない国ですが、ヒマラヤ山脈を有するために多くの観光客がありとあらゆる国から訪れます。
ここに自分のできることは無いかと思い移ってくることにしました。

日本で正社員を続けて何か欠けている生活を続けるよりも、全てをかけて海外で自分を試してみたかったのです。
海外での生活には苦労がつきまとうことは承知の上でした。

言語、衛生面、すべてにおいて日本とは違います。

まずネパールは電気が十分に供給されていません。
不安定な供給のため、毎日計画停電があります。
1日2時間3時間であればいいほうで、10時間近く停電することもあります。

でもその代わりに太陽に合わせた生活が送れます。
太陽と共に目を覚まし、太陽が沈むと共に床につくのです。

言語の問題もありました。
もちろんネパール語は話せない状態で移住したので初めは大変でした。
メジャーな言語と違い、日本では勉強するどころか、教科書だって探すのが大変なくらいです。
言語は現地の言語学校で学びました。
ネパール語を学ぶ日本人はものすごく珍しいようで、現地ネパール人にネパール語を話すと、ものすごく驚いてくれます。
みんな必ず、「なんでネパール語を話せるんだ?」もしくは「なんでネパール語を学んでるんだ?」と聞いてきます。
それだけマイナーな言語ということです。

日本人にとって苦しいことはトイレの方法かもしれません。
ネパールのトイレにはトイレットペーパーがありません。
代わりに大きな水かめと酌があるだけです。
用を足した後に酌で水を汲み、左手で洗うのです。

他にも衛生基準がだいぶ違うのでお腹を壊すことは多いと思います。
電源が不足しているので冷蔵庫が市場でもありません。
肉屋さんでも冷蔵庫がないところがあるので肉類を食べる時は覚悟が必要です。
特にモモというネパール式肉まん(牛は神様扱いなので水牛の肉)は現地の人でも食べると3割はお腹をくだすという強烈な食べ物です。
それでも美味しいので果敢に挑戦する人は絶えません。

ネパールに移り住んでもう6年になります。

いまではネパール語も流暢に話せるようになり、日本人と言っても信じてもらえないくらいです。

現地で知り合ったネパール人女性と結婚しネパールで仕事をしながら生活しています。

仕事は漫画を書く仕事。
現地の新聞社で募集をおこなっていた ものに応募したのがきっかけ。 

最初はつなぎ程度ではじめた仕事ですが、
驚いたことに安定した収入になっていきました。

その理由として現地には「面白い」漫画を描く人が
あまりいないことにあります。
「面白い」と言っても、日本のプロのような面白さでなく、
素人でも描くことができるありきたりなギャグでも現地ではウケるのです。

現地にも漫画はありますが「漫画」の歴史が短く、
日本で言う古典的なギャグのような発想自体ないようです。

それで単純なストーリーでも
ネパールでは斬新なようで人気がでたのです。

ネタ探しというものもほとんどなく、
棒人間みたいなキャラクターが最後にドジをして笑いを取るという感じで、
毎回オチをつけています。

これでいいのかな、と思うくらい簡単な漫画で、
日本の子どもでもかける程度の漫画です。

でも現地ではこうした簡単な漫画自体いままでなかったので
大衆受けしているのでしょう。

これから先、漫画という文化が発達していくと
もっと高度なものが求められてくるのだと思います。

仕事のペースとしては、いまでは週一くらいのペースで、
定期的に書き上げた漫画を出版社に持って行き原稿を収めています。

収入としては日本の平均月収に比べると少ないですが
現地の生活には十分な金額です。

生活水準をどの程度に保つかで変わりますが
日本の10分の1の収入で生活できるからです。



konomatsukonomatsu  at 19:10  | コメント(0)  | トラックバック(0) |  この記事をクリップ! アジアで起業 | ネパール